ちいさなメディア論・はじめに(2001年10月15日)

「オンメディア」ということばについて

ぼくは、1993年の秋から1997年の3月までSFCに助手として勤めていました。その頃は、インターネットが社会的に認知されはじめた頃で、メディア環境は急速に変化していました。そして、あのころヴィジョンとして描かれていたモノ・コトの多くは、ここ5年ほどで現実となりました。当時は“Wired”がオモシロイ方向性でしたが、この春SFCに戻ってきたら、当然のことのように“Wireless”の環境が整っていました。さまざまな実験的なプロジェクトがすすめられていたSFCでは、「オンメディア」(そしてその対概念としての「オフメディア」)ということばをよく耳にしました。それは、デジタルメディアの受容・普及にともなって、社会が大きく変わる…というメッセージを直感的に伝えるための、「便利な」ことばでした。

あのころは、あまり疑問に思わずに、ぼくも「オンメディア」ということばを使っていましたが、ここ数年は、もう一度そのことばを考え直しています。

当然のことながら、ひとによってとらえかたはちがうと思いますが、「オンメディア」ということばを発するとき、暗黙のうちに、いくつかの対比をおこなっているようです。まず、「オンメディア」は、「デジタル」「インタラクティブ(双方向)」ということばとともに語られることが多く、ウェブはその代表的な存在として位置づけられます。いっぽう、「オフメディア」は「アナログ」で「一方向(一方通行?)」で、プリントメディアは古い…という言い方に結びつくようです。最近の「デジタルディバイド」をめぐる議論も、どうやらこのような対比と連動しているように思えます。


ディバイドはどこにあるのか

デジタルメディアに関わるリテラシーが、さまざまな可能性を拡げることはおそらく間違いないでしょう。しかしながら、そのことと、〈オン=オフ〉〈電子メディア=プリントメディア〉の対比については、もう少しきちんと考える必要があるのではないか…。最近は、そのことが気になります。つまり、もし何らかのディバイドがあるとするならば、それは〈デジタル=アナログ〉というディバイドではなく、〈オンメディア=オフメディア〉というディバイドなのではないか、という素朴な疑問です。
じぶんの回りを見渡してみると、「アナログもデジタルも…」というひとが少なくありません。もちろん、日常生活のなかでどのようなメディアに、どのように接触するのか、その組み合わせや頻度、密度などはじつに多様です。でも、“メディア的”(メディア好き)なひとは、新聞も雑誌も本も映画もビデオもTVもインターネットも…と、さまざまなメディアと接触し、場合によっては「消費」するだけではなく「つくる」ことにも意味をみいだしています。マニア的にある種のメディアについて特化しているひともいますが、「オンメディアなひと」にとっては、〈デジタル=アナログ〉という区別自体はさほど意味を持たないように思えるのです。

つまり、メディアへの接触(あるいは、メディア的にものを見る・考えるという感覚)が重要なのであって、それはデジタルもアナログも、両方について考えてみる必要があります。プリントメディアが駆逐されてしまう…というような論調は、あらためた方がいいかもしれません。


ちいさなメディアについて考える

日常生活におけるメディアとの関わりについて考えるための“入り口”として、「ちいさなメディア」ということばを使ってみたいと思います。いまの段階では、「ちいさなメディア」を厳密に定義はしていませんが、以下のように性格づけられるものだと考えています。

  • 物理的に、ちいさい(あるいは物理的にちいさいモノに表示される)
  • 流通する範囲がちいさい・取り扱う内容がちいさい
  • 作成や配布などに関わるコストがちいさい
  • 接するための心理的距離がちいさい
  • その他、いろいろな面でちいさい

→ でも、おおきな意味と必要がある(かもしれない)メディア

それはたとえば、ポストカード(DM)、アドカード、グリーティングカード、フリーペーパー、チラシ、名刺、写真集(アルバム)、電報、携帯ストラップ、ステッカー、ラベル、メールマガジン、待ち受け画面、携帯メール(フレンドメール)、日記サイト、掲示板、ウェブ上の写真展・漫画などです。

〈ちいさい〉ということばは、いささか曖昧ですが、「マスメディア」に対しての「パーソナルメディア」ではない、という点を意識するために使っています。「ちいさなメディア」は、不特定多数を相手にする「マスメディア」でも、また特定少数のための「パーソナルメディア」でもない…と考えてみたいと思います。

つまり、読み手(広い意味でのユーザー)を限定するという意味で〈ちいさい〉ということ、また不特定で、場合によっては匿名性によって成立するような狭い範囲で流通するという意味で〈ちいさい〉ということについて、考えてみようと思います。


〈あいだ〉にあるちいさなメディア

ネットワークの拡張としてのちいさなメディア

「ちいさなメディア」はさまざまなネットワークの拡張として考えることができます。たとえば、ちいさなポストカードが友だちから届いて、手書きでメールアドレスが書かれていたとき。あるいは、電車の吊り広告に“xxx.com”と書いてあるのを眺めていたとき…。
印刷物に刷られているメールアドレスやURLは、ぼくたちとインターネットを結ぶはたらきをします。つまり、紙という媒体であったとしても、それが電子的な媒体へといざなうのであれば、ネットワークの拡張として考えてみたいのです。そう考えたとき、「ちいさなメディア」はあたらしい端末として理解することができます。

あたらしいアナログメディアとしてのちいさなメディア

また、「ちいさなメディア」はデジタルメディアによってつくられることが少なくない、という点も重要でしょう。オン・ディマンドの印刷や手作りの冊子など、最終的には紙媒体のモノとしてカタチになるにせよ、途中の段階ではデジカメもスキャナーも必要です。データのやりとりには、ネットワークが活用されます。そう考えると、ちいさな印刷物は、デジタルメディアを前提とした、あたらしいアナログメディアとして理解することができます。

「ちいさなメディア」という観点で、ぼくたちをとりまくメディア環境や、日常生活におけるメディアとの関わりを考えてみると、どのような発見があるのか。これが大切なテーマです。〈オン=オフ〉あるいは〈デジタル=アナログ〉という議論を、整理する手がかりになるのではないかと思います。〈あいだ〉としてのちいさなメディアの意味を考えてみたいのです。


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